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2007年01月12日
戦災復興の日英比較
戦災復興の日英比較 を読む。
「日英比較」とあるが、日本の戦災復興時の都市計画を十分になぞることができる。
中でも、日本の都市計画の祖とも言える石川栄耀に関しての記述が興味深い。
石川については、マヌ都市建築研究所の高野先生より、ご教授いただいたことがある。
→過去のエントリ地域資源とコミュニティづくり(2)参照
石川は、都市のあるべき姿として、
「太陽の都市」「友愛の都市」「たのしい都市」
「無交通の都市」「蔬菜の都市」「文化の都市」を掲げ、
具体的な提案を行った人物だ。
いかに東京が肥大化しないかというミッションに加え、
戦後の混乱期であるがゆえ、やや農本主義的な考えも示すが、
都市計画家たる者は地域に溶け込んで市民と一緒に考えるべきと明言した人物である。
このことを今日でも理解し得ない専門家が多いことは、
昨今の世の中の出来事からも理解いただける通りだ。
結局、インフレを抑制するために、日本の戦災復興計画は大幅に縮小され、
同時に無数の仮設住宅や闇市が生まれたことで、
都市計画の「理想」は破綻した。
そしてその後遺症を60年経った現代でも引きずっているような気がする。
石川は当初、都市全焼によって、都市計画は「望んだとて得られない機会」を得たと考えた。
戦災に怯えることのない現代において、あの大震災のような天災だけが脅威となるが、
やはり都市を一新できるチャンスというのは、望んでも得られない時代だ。
再開発のような事業手法を用いたとしても、都市スケールでのポリシーが不在だ。
となると、今もなお都市は、終戦直後に抱えた問題から抜け出せていないのではないか。
都市全焼のような悲劇ではないストーリーで、一新の可能性を見出さなければならないのではないか。
当時の政府は、土木系都市計画家らの視点から都市の未来を描き、
結果、道路の広さや区画の大きさなど、平面的な方針をもって戦災復興計画とした。
事業費の削減等により、小規模での実現にとどまっているが、
残念なことに、戦災復興としての都市計画以降もなお、
石川が掲げたような理想とは掛け離れたままだ。
戦災復興によって、現代にもたらされた問題については、
後に論文として整理したいところだが、
期せずして、本書で石川の考えに触れることができた。
東京の復興は当初計画の6%ほどしか実現できなかったと言うが、
新宿、渋谷、池袋等、主要駅周辺の区画整理が実現に至ったことは、彼の大きな功績とされている。
投稿者 こち : 2007年01月12日 17:51
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